NHK Eテレ『先人たちの底力 知恵泉』で紹介される山尾庸三(やまお ようぞう)。
「名前は初めて聞いたけど、何をした人?」「なぜ“工学の父”と呼ばれているの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
山尾庸三は、伊藤博文や井上馨らとともにイギリスへ渡った「長州ファイブ」の一人。
帰国後は工部省や工学寮の創設に関わり、日本の工業化と技術者教育の土台をつくった人物です。
この記事では、「山尾庸三 何者」と検索した人にもわかりやすいように、山尾庸三が何者なのか、なぜ「工学の父」と呼ばれるのか、経歴や功績を整理します。
- 山尾庸三とは何者なのか
- なぜ「工学の父」と呼ばれるのか
- 長州ファイブとの関係
- 工部大学校と現在の東京大学工学部とのつながり
- 視覚・聴覚障害者教育への貢献
山尾庸三とは何者?長州ファイブの一人
山尾庸三は、1837年に現在の山口県に生まれた幕末・明治期の人物です。
国立国会図書館「近代日本人の肖像」では、山尾庸三について技術者・官僚・政治家であり、視覚障害教育の先駆者として紹介しています。
最大の特徴は、幕末の1863年、伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助らとともにイギリスへ渡ったこと。
この5人は後に「長州ファイブ」と呼ばれ、日本の近代化をそれぞれの分野で支えました。
なぜ山尾庸三は「工学の父」と呼ばれる?
山尾庸三が「日本の工学の父」「工業教育の父」と呼ばれる最大の理由は、日本に近代的な工学教育の仕組みをつくったからです。
山尾はイギリス留学で、造船所の現場と学校の両方で技術を学びました。
帰国後、「国を豊かにするには、まず技術者を育てなければならない」と考え、政府に工学教育の必要性を強く訴えます。
その結果、明治政府に工学寮が設けられ、後に工部大学校へ発展しました。
この工部大学校は、現在の東京大学工学部につながる教育機関として知られています。
山尾庸三の功績① 工部省と工学寮の設立に尽力
明治政府は近代国家をつくるため、鉄道・造船・鉱山・電信などの整備を急いでいました。
山尾庸三はその中心となる工部省の設立に関わり、さらに技術者を育てるための工学寮設置を建議しました。
萩市の資料によると、山尾の建議をもとに工学教育の場が整備され、のちに工部大学校となっています。
日本の近代化には「海外から技術を買うだけでなく、日本人自身が学び、技術者になる必要がある」と考えていた点が重要です。
山尾庸三の功績② イギリスで造船技術を学んだ
山尾庸三はイギリス滞在中、ロンドンだけでなくスコットランドのグラスゴーにも渡りました。
そこで昼は造船所で働き、夜は学校に通って工学を学んだとされています。
国土地理院の資料では、山尾がグラスゴーの造船所で見習工として働きながら、夜間にAnderson’s Collegeへ通ったことが紹介されています。
机上の学問だけでなく、実際の工場で働きながら技術を学んだ経験が、帰国後の工業教育づくりにつながったと考えられます。
山尾庸三の功績③ 工部大学校から多くの技術者を育てた
工部大学校は、日本初期の本格的な工学教育機関の一つです。
ここからは、後に日本の建築・電気・土木などを支える多くの技術者が育ちました。
萩市や山口県の資料では、建築家の辰野金吾や、「日本のエジソン」とも呼ばれた藤岡市助などが工部大学校から育った人物として紹介されています。
つまり山尾庸三の功績は、自分自身が技術者として活躍したこと以上に、「技術者を育てる仕組み」を日本につくったことにあります。
山尾庸三の功績④ 盲ろう教育にも力を入れた
山尾庸三には、もう一つあまり知られていない大きな功績があります。
それが視覚・聴覚障害者教育への取り組みです。
国立国会図書館によると、山尾は楽善会訓盲院の創立に尽力しました。
この学校は後に官立東京盲唖学校へと発展し、現在の筑波大学附属視覚特別支援学校などにつながる流れの一つとなっています。
工業化だけでなく、教育そのものを国の基盤と考えていた人物だったことが分かります。
山尾庸三の経歴を簡単にまとめると
| 1837年 | 現在の山口県に生まれる |
|---|---|
| 1863年 | 長州ファイブの一人としてイギリスへ渡る |
| イギリス滞在中 | 造船・工学などを学ぶ |
| 1868年 | 帰国 |
| 1870年前後 | 工部省の創設に関わる |
| 1871年 | 工学寮の設置を建議 |
| 1880年 | 工部卿に就任 |
| その後 | 法制局長官、宮中顧問官などを歴任 |
| 1917年 | 81歳で死去 |
長州ファイブのメンバーは誰?5人のその後を紹介
山尾庸三と伊藤博文は、幕末の1863年に同じ長州藩からイギリスへ渡った仲間です。伊藤博文だけでなく、井上馨・井上勝・遠藤謹助を含む5人で「長州ファイブ」と呼ばれました。
山尾庸三は、1863年にイギリスへ密航留学した「長州ファイブ」の一人です。
長州ファイブは、のちに日本の近代化をそれぞれ別の分野から支えることになる5人組です。
| 名前 | 主な分野・功績 |
|---|---|
| 伊藤博文 | 政治・憲法。初代内閣総理大臣として近代国家づくりを進めた |
| 井上馨 | 外交・財政。外務卿や外務大臣などを歴任し、明治政府を支えた |
| 井上勝 | 鉄道。「日本の鉄道の父」と呼ばれ、鉄道網の整備に尽力した |
| 遠藤謹助 | 造幣。大阪造幣局の発展に関わり、近代的な貨幣制度を支えた |
| 山尾庸三 | 工学・工業教育。工学寮や工部大学校の設立に尽力した |
5人は同じ時期にイギリスで学びながら、帰国後はそれぞれ異なる分野で日本の近代化を担いました。
その中で山尾庸三が担当したのが、工学と技術者教育の分野です。
伊藤博文|政治と憲法
伊藤博文は、長州ファイブの中でも最も有名な人物です。のちに初代内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法の制定にも深く関わりました。
井上馨|外交と財政
井上馨は、明治政府で外務卿や外務大臣などを務め、外交や財政の分野で日本の近代化を支えました。
井上勝|日本の鉄道の父
井上勝は鉄道行政を担当し、日本各地に鉄道網を広げる土台をつくりました。「日本の鉄道の父」と呼ばれる人物です。
遠藤謹助|近代的な造幣制度を支えた人物
遠藤謹助は、大阪造幣局などで日本の貨幣制度の近代化に関わりました。現在の造幣事業につながる基礎を支えた人物の一人です。
山尾庸三|日本の工学教育をつくった人物
山尾庸三は、イギリスで学んだ工学や造船の知識を日本へ持ち帰り、工学寮・工部大学校などの設立に尽力しました。
長州ファイブの5人を並べてみると、山尾庸三が「人を育てる仕組み」を担当した人物だったことが分かります。
NHKで紹介された歴史人物・場所の記事
NHKの歴史番組では、教科書では大きく扱われない人物や場所が紹介されることがあります。
同じくNHK放送をきっかけに注目された歴史テーマとして、トレンド研究所の最新記事一覧もまとめています。
番組を見ながら「この人物は何者?」「この場所はどこ?」と気になったときに、あわせてチェックしてみてください。
山尾庸三についてよくある質問
山尾庸三は何をした人?
工部省や工学寮の設立に関わり、日本の工学教育と工業化の基礎づくりに尽力した人物です。
なぜ「工学の父」と呼ばれる?
近代的な工学教育を日本に導入し、工部大学校などを通して多くの技術者を育てる仕組みをつくったためです。
山尾庸三は長州ファイブ?
はい。伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助とともにイギリスへ渡った「長州ファイブ」の一人です。
工部大学校は現在の何?
その流れは現在の東京大学工学部につながっています。
工学以外の功績は?
視覚・聴覚障害者教育にも尽力し、楽善会訓盲院の設立に関わりました。
まとめ|山尾庸三は日本の技術者教育をつくった人物
- 山尾庸三は長州ファイブの一人
- イギリスで造船・工学を学んだ
- 工部省の創設に関与
- 工学寮・工部大学校の設立に尽力
- 現在の東京大学工学部につながる工学教育の基礎をつくった
- 工業化だけでなく盲ろう教育にも貢献
つまり、山尾庸三は何者かを一言でいえば、日本に「技術者を育てる仕組み」をつくった人物です。伊藤博文ほど名前は知られていませんが、日本が短期間で工業国へ成長するうえで欠かせない存在でした。
NHK『知恵泉』をきっかけに山尾庸三を知った人は、番組を見る前にこの経歴を押さえておくと内容がより分かりやすくなると思います。
参考:国立国会図書館「近代日本人の肖像」/萩市・萩博物館資料/山口県立山口図書館/筑波大学附属視覚特別支援学校/国土地理院資料